2017年08月16日

お盆なので・・・ちょいコワ話2。

ご先祖様をお迎えするお盆も、あっという間に過ぎて行って

しまいました・・・。

お盆になると、普段は家事にやる気を見せない母が、急に張り切って、

祭壇の用意をします。

   CA3K13580001.jpg
     毎年、母がしつらえるお盆の祭壇。
     何か、横溝正史の世界みたい・・・。

仏前に出す朝晩のお膳の用意もきちんとして、全て滞りなく

やり抜く姿は、何だか別人のよう。( 一一)

亡き自分の両親や夫には、きちんとしてる面を見せたいのかな〜と、

思いながら見ています。(*^_^*)

子供に見せる面は、グダグダなんですけどね。

人間って面白いなって、思います。


そう言えば、数年前、まだ父が生きていた頃の、お盆の時の話。

お坊さんが読経を終えた際に、母が「こんなに立派に供養して

もらって、ありがたい」と言って、急に泣き出したことがありました。

お坊さんも、家族一同も、ビックリです。(@_@;)

「え。毎年やってることじゃん。何で今さら?」って感じで、

キョトンです。


お坊さんもワケが分からず、バツが悪くなって、そそくさとお帰りになり、

家族だけになった時に、「何あれ。どしたの」と母に聞いたら、

「自分でも何だかよく分からないけど、急にありがたい気持ちが

込み上げてきて、涙が出てきた」とのこと。

すると、隣にいた姉が、「あれ、お母さんの涙じゃないよ。

お婆ちゃんの涙だよ。お婆ちゃん、ここにいたもん」と、

これまた奇々怪々なことを言い出しました。


母によると、祖母はお嫁入り先に実家の仏壇を持ってきたものの、

嫁入り先なので表に出すことは許されず、押し入れに入れた仏壇に、

いつも手を合わせていたのだそうです。

だから、こうして表立って盛大に供養してもらえることが、

涙が出るほどありがたいと祖母が思うのも、一理ある、と、

母は納得していました。

――いやいや、それはともかくとして、祖母が一時的に自分に

乗り移ったらしき現象についてはスルーなんかい、って思いましたが、

まぁ身内だし、全然、コワくも何ともないようでした。


自分のものではない感情を意識の中に感じるという現象は、私も、

東日本大震災の直後に、体験しました。

地震の後、ある夜、一人で部屋で静かにしていたら、胸の奥の方から、

急に漠然たる恐怖と不安の感情が浮かび上がってきて、驚きました。

自分自身は、部屋で一人で、平穏な気持ちでいたので、個人的には

そういった感情を感じる根拠がなく、すぐに(あ、これ、被災した

みんなの感情だな)と、思いました。

集合意識に一気に大量に放り込まれた日本国民の恐怖と不安が、

上がってきちゃったんだな、と。


戸隠神社の中社でも、心は至極平静なのに、なぜか膝がガクガク震えて

止まらなかったこともありましたねー。

あれは一体、誰だったんだ、って感じ。( 一一)

ヒプノでも、現在の自分とは違う人格の、過去生の人間の感情を

ありありと感じて号泣とか、ありますもんねー。

夢で、猫の感情を感じて号泣とかも、あった。

人間の意識の感知機能というのは、現在思っているよりも、

はるかに広範囲をカバーするものなのかもしれません。


まだまだ解明されていないことがいっぱいあるこの世の仕組みって、

興味深いですよね。(^^)

あの世に行った先人たちは、今頃「謎は全て解けた!」に、

なっているのかなぁ〜。

早く行ってみたいような、そうでないような。(^^ゞ
posted by noa koa at 12:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

夏なので・・・ちょいコワ話。

母方の親戚がピアノ協会をやっているので、協会主催のコンクールでの

会場放送のお手伝いに行ってきました。

   五反田文化センターmusichall.jpg

出演者の皆が素敵なドレスを着て、「緊張する〜」と言いながら

舞台に出ていく様子を見て、嫌々ピアノを習っていた小学生時分の

自分を思い出しました。

あの頃は、有無を言わせず習わされていたピアノの練習が嫌で嫌で、

中学受験を理由にやっと辞めることができて、心底ホッとしたなぁ〜。(^^ゞ

本当に好きでピアノをやっている方々には、ピアノにまつわる全ての

経験を、楽しんでほしいなって思います。(^^)


協会の理事で、私のピアノの先生でもあったおばが亡くなった時には、

不思議な体験をしました。

おばが自分の子供のように一生懸命指導してくれていたにもかかわらず、

ピアノが全く好きになれなかった小学校時代の私は、ピアノを辞める

理由ばかり、探していました。

小学六年生で、中学受験を理由にピアノを辞めると宣言した時の、

おばの切なく悲しい気持ちには、心のどこかで気づいていたと思います。

だからおばが亡くなった時には、悲しさに加えて、過去の申し訳ない

気持ちが蘇りあふれて、号泣でした。


お通夜の後、自室でお棺に納めるおば宛ての手紙を書きながら、

またひとしきり涙していたその時、突然、ベッドサイドのランプが

バチバチと大きな音を立てて、激しく震えました。

すぐに(わっ、おばちゃまだっ)と感じましたが、やっぱり超常現象

コワいので、あわててランプのスイッチを切りました。


次の日、火葬中もおばを思い、悲しい気持ちでいると、ふっと、

「これでよかったのよ」というおばの声(思い?)が、頭の中に

飛び込んできました。

隣にいた母に、「ねぇ、今、おばちゃまが、『これでよかったのよ』

って、言った」と言ったら、母は「あら、そう」とキョトンとした顔を

していましたが、姉も、おばが花畑を一人歩くビジョンを見たそうです。


おばが亡き後も、協会はおじが一人で頑張って存続させていましたが、

気づけばおじも、もう相当なご高齢。

必要な時には協会のヘルプをすることで、おばへの恩返しと、遠い昔に

悲しい思いをさせたお詫びができるかな〜と、思っています。


コンクールの後は、審査員として参加してくれていたピアニストで

お友達のまりちゃんと、久しぶりに我が家でディナーをご一緒しました。

世界中で演奏する国際的ピアニストでありながら、とっても気さくで

おしゃべりなまりちゃん。(^^)

まりちゃんから繰り出される壮大な面白エピソードの数々に大笑い

しながら、(左脳と右脳が、両方ともバランスよく発達してるんだな〜。

やっぱりピアノって、脳の発達に良いんだな〜)と感心しつつ、

耳を傾けました。


東大生の幼少時の習い事で、一番多いのがピアノって、確か、

いつぞやのテレビ番組でやっていました。

私は小学六年生で辞めちゃったから、脳神経が、伸び悩んだのかも〜。(^^ゞ

でもま、何事につけ、辞めちゃう人も、続ける人も、最後、「我が人生、

これでよかったのだ〜」と思えれば、それでオッケーなんだと思います。

死の間際でなくとも、人生の一瞬一瞬において、「これでいいんだ」と

思えること、それが幸福な人生を歩む、秘訣なんだろうと思います。


幸福って、所詮、心模様ですしね!

舵取りすべきは、外界ではなく、心模様。

今日も清々しくまいりましょう!(^○^)
posted by noa koa at 14:01| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする