2017年08月31日

この夏の一冊。

とうとう、8月も今日で終わり。

今年の夏は、夢幻のように、あっという間に過ぎ去った印象・・・。

暑すぎて、あんまり遊びに出掛けなかったからかなっ。


さて、活字中毒の私の、この夏の一冊。

   CA3K13690001.jpg
   
これ、すごく良かったです。

「タオ」っていうのは、老荘思想における「道」のことで、

人間の思考による脚色をつけない、いわゆる「あるがまま」のこと。

今年は、「ギリシャ哲学あたりを読もうかな〜」と思っていたのですが、

ふたを開けてみれば、一元論の本ばかり。📖

禅も、老荘も、量子力学も、ぶっちゃけ全て、一元論です。

今年のテーマはここにあり、なのかもしれません。( 一一)


本の中で、著者は、「苦しみの原因は全て、外的物事にあるのでは

なく、その物事に対する、自身の考えにある」と、言っています。

つまり、例えば「子供たちが家を汚す」という現象に苦しみを感じている

場合、「家を汚す子供たち」あるいは「家が汚れている事実」自体が

ストレスの原因なのではなく、「子供たちは家を汚すべきでない」、

「家は綺麗に保たれるべきだ」という、自身の凝り固まった考えこそが、

自分を苦しめているのだと。

その場合、何があるがままの現象かと言えば、「子供たちが家を汚す」、

「家が汚れている」ということ。

その歴然たる目の前の事実に異を唱えても、自分の心が苦しむだけ。

自分にできることは、目の前ですでに展開されている事実を変えること

ではなく、自分で自分の心を苦しめるようなことをやめること。

それだけで、人生はめっちゃラクになる、というお話でした。(^^)


こうして、苦しむのをやめる習慣を身につけると、ストレスや苦しみは、

自身の中に「自分を苦しめるような思考を持っているよ」というサインと

なるので、より自分を自由へと解放するチャンスとなるのだそうです。

自分の中にある、自分にマイナスになっている思い込みを見つけ出して、

必要なければ手放す、っていう理論は、ヒプノセラピーと一緒だな〜と、

思いました。(^.^)


人は、どうして苦しみを手放さないんでしょうかね?

苦しみを引き起こす思考を持ち続けることで、目の前の事実、あるいは

未来が変わると、思っているのかな?

でも実際は、逆なんですよね〜。(^_^.)

人間は、自分の意識の中にあるものを、人生で体験するようにできている

ようなのです。

だから、「子供たちは家を汚すべきでない」という考えが、意識の中に

強くあると、実際にそう強く思わざるを得ないような現象を、体験する

ことになるのです。


意識って、無意識の割合が巨大なので、現象として体験するものは、

顕在意識で望んでいないものも多い。

でもそれは、他ならぬ「自分の」無意識から上がってきた現象なので、

決して他人や、外圧によるものではない。

誰のせいでもない「自分のもの」なので、誰かや何かを責めてもムダ。

ありのまま見て、受け容れて、その背後にある、自身の無意識的な、

凝り固まった考えに気づき、深く理解して、もしもういらなければ、

捨ててしまえばよし、なのです。

苦しみは、なくなります。


本では、自分が考えを手放すというよりも、自分の考えをよ〜く理解

しさえすれば、そのこだわりある考えの方が自然に消えていき、

その結果、現象(体験)も消えていく、というお話でした。

まー、そうも言えるかも。(^.^)


また、本の中では、今年研究しようと思ってたソクラテスの、

かの有名な名言「無知の知」にも、触れられていました。

これ、「認識力に限界のある人間には、大きな秩序は分からんのだから、

狭い認識でグダグダ言うな」って、ことらしいですね。

ままならない人生を生きる人間の意識の中から、「何を現象として

浮かび上がらせるか」を決めているのは、一体誰なんだ?

自分じゃないでしょ?分からないでしょ?神様としかいえないでしょ?

全知の神に向かって、グダグダ言っても、仕方ないでしょ?って、

トコロなのかもしれません。(^^ゞ


さ〜すが、無実の罪なのに「オッケー♪」とばかりに毒杯をあおり、

己が死にゆく過程を弟子たちに実況中継したというソクラテス、

タオってるわ〜。(^.^)

つまるところ、人生全肯定なワケですね、師匠!(^o^) 

私も今後、ソクラテスバリにタオって生きていけるよう、

精進したいと思います。(^^)
posted by noa koa at 16:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

流しましょう。

最近発見した事実。👀

それは、「流れを良くすると、痩せる」。


きっかけは、戸隠旅行から帰ってきた後の、体重でした。

「あれ。減ってる・・・」

3日間の旅行中は、ヘルシー料理ながらもいつもの何倍もの量を食べ、

いつもはあまり食べないお菓子を車中でパクパク食べていたにも

かかわらず、行く前の体重よりも、1.5kgほど、減っていました。

(何でだろ〜?何でだろ〜?)とギモンに思いつつ、答えが出ないまま、

一か月ほどで、ほぼリバウンド。(T_T)

猛暑による食欲減退で、旅行中よりも確実に、食べている量は少ないと

いうのに。( 一一)

「――さっぱり分からない(ガリレオ風)」と、眉間にしわを寄せていました。


そんなある日、TVでリンパドレナージュのやり方について教えてくれる

番組を見ながら、ご指導通りに、やってみた時のこと。

なんと、その時ちょっとだけ痛かった股関節の痛みが、

スッとなくなったんですね〜。\(◎o◎)/!

時折、膝や股関節が痛むことのある私は、(こりゃいいかも!)と思い、

お風呂に入る際はいつも、TVで教わった通りに、リンパドレナージュを

やってみることにしてみました。

そしたらー。

いつの間にか再び、戸隠から帰ってきた時と同じ体重に、

なっていたのでした。(◎o◎)


戸隠ではリンパドレナージュは行っていませんでしたが、そういえば、

2日連続で温泉に入り、宿でもさらに、菖蒲ヨモギ風呂に、ゆっくりと

浸かっていました。♨

つまり、体重減につながったと思われる共通項は、「血行、リンパ液など、

体液の流れが良くなったこと」。

こうしてめでたく、「謎は全て解けた!」になり、心身共に、

スッキリしました。(*^_^*)


まぁとはいえ、体重1〜2sは日常変動範囲ですし、そもそも痩せてキレイに

なるよな歳は過ぎ、痩せると老ける年齢に入ってきているので、(-_-)

さほど痩せたいと思っていたわけでもないのですが、季節の変わり目や、

身体が冷えると起こってくる関節痛や神経痛が、リンパドレナージュで

劇的に良くなるというのは、有り難いことです。\(^o^)/

身体の流れが良くなれば、人生の流れも良くなる気がするし〜。(笑)

これからもどんどん、流していきたいと思います!(^^)

   CA3K13630001.jpg
   母の膝痛が再発したので、近所の温泉施設「湯けむりの庄」に、
   行ってきました。 風鈴が夏らしい。

      CA3K13640001.jpg
               お魚。

   CA3K13670001.jpg
      見ざガエル、言わざガエル、聞かざガエル。

   CA3K13650001.jpg
         テラスが涼しげなお食事処。
posted by noa koa at 10:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

お盆なので・・・ちょいコワ話2。

ご先祖様をお迎えするお盆も、あっという間に過ぎて行って

しまいました・・・。

お盆になると、普段は家事にやる気を見せない母が、急に張り切って、

祭壇の用意をします。

   CA3K13580001.jpg
     毎年、母がしつらえるお盆の祭壇。
     何か、横溝正史の世界みたい・・・。

仏前に出す朝晩のお膳の用意もきちんとして、全て滞りなく

やり抜く姿は、何だか別人のよう。( 一一)

亡き自分の両親や夫には、きちんとしてる面を見せたいのかな〜と、

思いながら見ています。(*^_^*)

子供に見せる面は、グダグダなんですけどね。

人間って面白いなって、思います。


そう言えば、数年前、まだ父が生きていた頃の、お盆の時の話。

お坊さんが読経を終えた際に、母が「こんなに立派に供養して

もらって、ありがたい」と言って、急に泣き出したことがありました。

お坊さんも、家族一同も、ビックリです。(@_@;)

「え。毎年やってることじゃん。何で今さら?」って感じで、

キョトンです。


お坊さんもワケが分からず、バツが悪くなって、そそくさとお帰りになり、

家族だけになった時に、「何あれ。どしたの」と母に聞いたら、

「自分でも何だかよく分からないけど、急にありがたい気持ちが

込み上げてきて、涙が出てきた」とのこと。

すると、隣にいた姉が、「あれ、お母さんの涙じゃないよ。

お婆ちゃんの涙だよ。お婆ちゃん、ここにいたもん」と、

これまた奇々怪々なことを言い出しました。


母によると、祖母はお嫁入り先に実家の仏壇を持ってきたものの、

嫁入り先なので表に出すことは許されず、押し入れに入れた仏壇に、

いつも手を合わせていたのだそうです。

だから、こうして表立って盛大に供養してもらえることが、

涙が出るほどありがたいと祖母が思うのも、一理ある、と、

母は納得していました。

――いやいや、それはともかくとして、祖母が一時的に自分に

乗り移ったらしき現象についてはスルーなんかい、って思いましたが、

まぁ身内だし、全然、コワくも何ともないようでした。


自分のものではない感情を意識の中に感じるという現象は、私も、

東日本大震災の直後に、体験しました。

地震の後、ある夜、一人で部屋で静かにしていたら、胸の奥の方から、

急に漠然たる恐怖と不安の感情が浮かび上がってきて、驚きました。

自分自身は、部屋で一人で、平穏な気持ちでいたので、個人的には

そういった感情を感じる根拠がなく、すぐに(あ、これ、被災した

みんなの感情だな)と、思いました。

集合意識に一気に大量に放り込まれた日本国民の恐怖と不安が、

上がってきちゃったんだな、と。


戸隠神社の中社でも、心は至極平静なのに、なぜか膝がガクガク震えて

止まらなかったこともありましたねー。

あれは一体、誰だったんだ、って感じ。( 一一)

ヒプノでも、現在の自分とは違う人格の、過去生の人間の感情を

ありありと感じて号泣とか、ありますもんねー。

夢で、猫の感情を感じて号泣とかも、あった。

人間の意識の感知機能というのは、現在思っているよりも、

はるかに広範囲をカバーするものなのかもしれません。


まだまだ解明されていないことがいっぱいあるこの世の仕組みって、

興味深いですよね。(^^)

あの世に行った先人たちは、今頃「謎は全て解けた!」に、

なっているのかなぁ〜。

早く行ってみたいような、そうでないような。(^^ゞ
posted by noa koa at 12:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

夏なので・・・ちょいコワ話。

母方の親戚がピアノ協会をやっているので、協会主催のコンクールでの

会場放送のお手伝いに行ってきました。

   五反田文化センターmusichall.jpg

出演者の皆が素敵なドレスを着て、「緊張する〜」と言いながら

舞台に出ていく様子を見て、嫌々ピアノを習っていた小学生時分の

自分を思い出しました。

あの頃は、有無を言わせず習わされていたピアノの練習が嫌で嫌で、

中学受験を理由にやっと辞めることができて、心底ホッとしたなぁ〜。(^^ゞ

本当に好きでピアノをやっている方々には、ピアノにまつわる全ての

経験を、楽しんでほしいなって思います。(^^)


協会の理事で、私のピアノの先生でもあったおばが亡くなった時には、

不思議な体験をしました。

おばが自分の子供のように一生懸命指導してくれていたにもかかわらず、

ピアノが全く好きになれなかった小学校時代の私は、ピアノを辞める

理由ばかり、探していました。

小学六年生で、中学受験を理由にピアノを辞めると宣言した時の、

おばの切なく悲しい気持ちには、心のどこかで気づいていたと思います。

だからおばが亡くなった時には、悲しさに加えて、過去の申し訳ない

気持ちが蘇りあふれて、号泣でした。


お通夜の後、自室でお棺に納めるおば宛ての手紙を書きながら、

またひとしきり涙していたその時、突然、ベッドサイドのランプが

バチバチと大きな音を立てて、激しく震えました。

すぐに(わっ、おばちゃまだっ)と感じましたが、やっぱり超常現象

コワいので、あわててランプのスイッチを切りました。


次の日、火葬中もおばを思い、悲しい気持ちでいると、ふっと、

「これでよかったのよ」というおばの声(思い?)が、頭の中に

飛び込んできました。

隣にいた母に、「ねぇ、今、おばちゃまが、『これでよかったのよ』

って、言った」と言ったら、母は「あら、そう」とキョトンとした顔を

していましたが、姉も、おばが花畑を一人歩くビジョンを見たそうです。


おばが亡き後も、協会はおじが一人で頑張って存続させていましたが、

気づけばおじも、もう相当なご高齢。

必要な時には協会のヘルプをすることで、おばへの恩返しと、遠い昔に

悲しい思いをさせたお詫びができるかな〜と、思っています。


コンクールの後は、審査員として参加してくれていたピアニストで

お友達のまりちゃんと、久しぶりに我が家でディナーをご一緒しました。

世界中で演奏する国際的ピアニストでありながら、とっても気さくで

おしゃべりなまりちゃん。(^^)

まりちゃんから繰り出される壮大な面白エピソードの数々に大笑い

しながら、(左脳と右脳が、両方ともバランスよく発達してるんだな〜。

やっぱりピアノって、脳の発達に良いんだな〜)と感心しつつ、

耳を傾けました。


東大生の幼少時の習い事で、一番多いのがピアノって、確か、

いつぞやのテレビ番組でやっていました。

私は小学六年生で辞めちゃったから、脳神経が、伸び悩んだのかも〜。(^^ゞ

でもま、何事につけ、辞めちゃう人も、続ける人も、最後、「我が人生、

これでよかったのだ〜」と思えれば、それでオッケーなんだと思います。

死の間際でなくとも、人生の一瞬一瞬において、「これでいいんだ」と

思えること、それが幸福な人生を歩む、秘訣なんだろうと思います。


幸福って、所詮、心模様ですしね!

舵取りすべきは、外界ではなく、心模様。

今日も清々しくまいりましょう!(^○^)
posted by noa koa at 14:01| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする