2019年06月20日

長引く鼻炎。

玄関先の松の手入れが面倒なので、「切っちゃおうか〜」と話していた

矢先に、松のてっぺんに鳩が巣を作り、「これって吉兆らしいよ〜、

松切るの、やめよっか」と話していたら、その鳩の巣がソッコー

猫に襲われ、「あちゃ〜。じゃ〜やっぱり切ってもらおうか」と

植木屋さんにお願いしたら、「庭に松竹梅が揃っているのは

縁起がいいので、切らない方がいい」と言われて、やっぱり残す

ことになり、何だか運が上がったり下がったりなこのところ。( 一一)

5月頭に発症した鼻炎も、まだ完治せずに過去最長記録を更新中で、

やはり年初のおみくじ通り、今年は小吉ってところでしょうか…。(^_^.)


以前、ナゾの体調不良に見舞われていた時、ある占い師さんに

「体調を悪くしない限り、あんた自分から動いちゃうから、

神様があえてそうしている」と言われたことがありました。

その後、占い師さんのおっしゃる通り、体調は自然に良くなったので、

「動いちゃいかん時期だったってことね〜」と思っていたのですが、

ホロスコープによると、私は今世、「流され」たり、「受け容れ」たり、

「埋没」したり、「滅却」したり、「超越」したりがテーマなので、

イザという時以外は、総じて動かん方がいいらしい・・・。(;一_一)

どうやら前世で、めっちゃ流されず、受け容れず、埋没せず、滅却せず、

超越せずの、雄々しくも猛々しい人生を送ったらしいです。(^^ゞ

どうりで、あらゆるセラピーや占いで、まるで申し合わせたかのように

「女性性」をテーマとして突きつけられるのですが、ここ数年、

こう鼻炎が頻発&長期化するということは、未だ体調不良を通してしか、

「受動」「消極」などの「女性性」に留まっておれないと、

神様に思われているのかなぁ〜。(^_^.)


過去生から持ち越したものは、無意識レベルのものなので、

矯正するのはなかなか難しい。

めっちゃ気をつけて、意識的に、自分の思考パターンや行動パターンを

矯正して習慣づけていかないと、すぐに戻っちゃいますからね。

まぁ、とは言え鼻炎は、加齢や寒暖差による免疫力の低下が

直接の原因だと思うので、朝のコーヒー習慣を、夏風邪予防に効くという

緑茶に変えてみました。

何か、そこはかとなく効いてる気がする!(^○^)


人生の中で、相も変わらず繰り返し経験するような事柄については、

目には見えない裏の力や意味合いにも、思いを馳せる必要があるかな〜

と思います。

もちろん、現実的な具体的対処も、非常に重要ですが。

私も、朝の緑茶を習慣づけつつ、何事につけ女性的な「リアクションモード」

を心がけて、長引く鼻炎が治るかどうか、観察してみようと思います!(^^)

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   数日前の、息を呑むほどに神々しい夜空。
   陰性エネルギーの月は、女性性の象徴だそうです。
posted by noa koa at 12:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月10日

比較宗教。

暑かったり寒かったりで、寒暖差アレルギーが収まる気配がない・・・。
(;一_一)

今日は梅雨寒。ストーブ焚いてしまいました。

しかしながら、心が落ち着く梅雨時は、案外好きな季節です。

しとしと降る雨だれの音には、何よりも心を癒す効果があるなぁと

感じます。

薄暗い外界と雨だれの音、自分の内へ内へと入って行くのに、

もってこいの環境ですよね。\(^o^)/

5分でも10分でもいいから、そういった時間を取りたいですね。


内へ内へと言えば、先日、イエスと親鸞の教えの共通点について

書かれた素晴らしい本を読み終えましたが、内面世界へと意識を

向けることは、キリスト教でも仏教でも、最も重要とされている

ポイントのようです。

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     このご本。とても分かりやすかったです。

キリスト教においては、実際に悪いアクションを起こさずとも、

心の中で想像しただけで「アウト」(つまり罪を犯した)だし、

浄土仏教においては、「仏の目から見て、自分は悪人である(罪業あり)」

という自覚こそが、救われる道です。

つまりどちらも、傍の誰にも分からないような、自分だけが知っている、

心の中の隠された動機や気持ちを、自己欺瞞なしでがっつりありのまま、

目ん玉カッ開いてつぶさに見ることこそ、何よりも大事なことですよ、

と主張しているわけです。

それによって、自分の中の見たくないもの、つまり醜さだったり、

弱さだったり、ダメダメさだったりが見えてくる可能性が高いですが、

それをありのままに見ないでいる弊害の方がナンボかデカい、

ということですね。

宗教って、心理学で言うところの「潜在意識のシステム」を、

その時代なりに説明している感じだなぁと思いました。


潜在意識の中に抑圧された見たくないものは、勇気を持って

自分からつぶさに見ようとしない限り、自分で自分の足を

すくうような無意識の言動となって表れてしまうし、

または外界に投影されて、見たくないのに見ざるを得ないような

現実体験に巻き込まれたりもする。

そうした外的現象が起こる前に、内的に対処しといた方がいいですよ〜、

っていうのが現代心理学的アプローチで、一方の宗教においては、

そうして自分の内面をありのままに観察するうちに、人間というものは

罪業(カルマ)から逃れられない運命にある存在である、という

真実を悟り、自分を含め全ての人間に対して慈悲の心が

持てるようになっちゃいますよ〜、という感じ。


最新の研究によると、顕在意識も潜在意識の一部であることが

証明されているので、ぶっちゃけ人間は潜在意識(=カルマ)の

なすがまま、全てはお釈迦様の手の平の上、ってのが、古今東西の

真実であることがいよいよ明らかになりつつあるわけですが、

時代によって、そして地域文化によって、同じ真実でも、

こう違った風に皆に教え伝えるのだなぁ、と大変興味深く思いました。


先日、お嬢さんが入学したキリスト教系の学校の、「親のための

キリスト教講座」みたいなのに出席してきたという親友に、

ちらっと宗教におけるカルマの概念のことを言ってみたら、

「救いがない!」とご不満そうでした。

私には「救い」と感じられた概念が、他の人にとっては

「救いがない」と感じられるのだなぁと、これもなかなか

面白い発見でした。


ラッキーもカルマ、アンラッキーもカルマ、と思えば、

結構フラットな気持ちでサラサラと生きられてラクな気が

するのだけれど、ラクするよりも頑張って上を目指したい、

っていう人には、こうした概念は合わないのかもしれません。

あるいは、人生や自分自身に絶望し、打ちのめされた人のみが、

そうした概念を「救い」と感じるのかも。

ん?てことは、親友と違って私は、人生や自分自身に絶望して

いたのか〜、気づかなかった!(^^ゞ


まぁ人それぞれ「救い」と感じることは違っても、ホントは

誰もがそもそも救われていて、それに気づくか否かなんですよ〜

というのが、イエスや親鸞の言わんとするところっぽいです。

比較宗教って、面白いな!(^○^)

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      朝の代官山。めちゃカワわんこ〜☆

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     小腹が空いたので、コルドンブルーで軽食。

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   友達の会社のサングラスセールでした。今回2度目。
   物欲ないと言いながら、見ると欲しくなるのもカルマなのか・・・。
posted by noa koa at 22:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月01日

不安がいっぱい、幸せもいっぱい。

もう6月!今年も速い!

与えられている時間を果たして有効に使えているのかどうか、

不安になるほどの速さです。(^^ゞ

同級生の中には、与えられていた時間を終える人達もちらほらと

出てきて、自分に与えられている時間も、残りがどれだけあるのかは、

皆目分からないのだなぁと思います。


先日の中高時代の親友たちとの会合でも、皆口々に

先行きの不安を口にしていましたが、皆はどうやら長生き前提の、

先行き不安のようでした。(笑)

皆の話を聞いていて、(皆がその人生で何を最も大事に思い、

何に執着しているのかを知ることが出来るなぁ〜)と、思いました。

私もつい最近、自分の中にそういった強烈な不安を感じ、

自分の中の断ち難い執着を実感したことがあったので、

皆の話も、そういう側面から聞いたのでした。


不安というものは、まだ失っていないのに、失いたくないと

強く思うもの、まだ降りかかってきていないのに、

降りかかってきたら嫌だと思うもののことを考えることで、

心の中に呼び起こされる感情のようですね。

でも考えてみれば、それって、失いたくないと強く切望するものを、

今現在は、持っているということなんですよね。

まだ、失っていない。

将来失うかもしれないけれど、今現在はそれを享受しているのだ、と

いうことに心の焦点を当てると、何とも言えない温かな感謝の気持ちと、

幸福感とが湧き上がってくるのを体験しました。

しかしながら、皆があまりにも将来の不安への共感を求めるので、

会合の席では言い出せませんでしたが・・・。(^^ゞ


不安や恐怖は、人間に建設的な行動を取らせるために必要な感情であり、

否定すべきものではないと思います。

でもあまりにそれに捉われると、「今現在の幸せ」を、

充分に実感できなくなってしまいます。

それって、もったいないですよね。

「今現在」は、実際に目の前で、刻々と失っていっている

ものなのに。


人間はいつか、全てを失う運命の下に、生きている。

人間に生まれてきちゃったんだから、それはしょーがないよな〜と、

思います。

でも、そうした人間として避け難い運命を思うほどに、

今現在与えられているものの幸せが身に沁みるってトコロに、

人間体験の深さを感じるなぁ〜。

もしかしたらこれが、皆がこぞって人間に生まれてくる理由なのかも

しれませんね。(^_-)


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     久しぶりの東京でした。(^^)
     しかし食べられなくなったわ〜。(^_^.)
posted by noa koa at 12:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする