2018年08月15日

おどろおどろ満喫。

日々暑さに負けじと戦っている間に、もうお盆。

今年も、それまではグダグダだった母が急に張り切り出し、

ご先祖様方をお迎えする祭壇をこしらえました。

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          この、昭和感がたまらない。

お坊さんが読経に見えた日は、午後から急に暗くなって、

ゴロゴロ、ザーッと、雷雨に見舞われました。

あまりのおどろおどろしげな雰囲気に、急にコレを読みたくなる。

   CA3K16690001.jpg

ぼんぼりを灯した祭壇の横で読みふける横溝正史は、最高です。(^.^)

おどろおどろしさ満喫です。

今年のお盆も、楽しいです。(^^)


「獄門島」は終戦直後のお話で、ミステリーの面白さに加えて、

その当時の日本人の意識というものが読み取れるのも、一興です。

物語の中で、島の床屋が金田一に、「やっぱり先祖の血は争われ

ませんや。ありゃアきっと、平家の落人の血が何百年か経って、

ひょいと現われやアがったに違いありませんぜ」と言うセリフが

あるのですが、そういったセリフ一つからも、当時の人々が

人間というものを、目には見えない部分も含めて認識していた

ことが分かります。


母は、まるでホントにご先祖様方の霊が家に帰ってきているかの

ように、朝晩かいがいしくお膳の用意をし、故人が好きだった音楽を

かけたりと、これサービスに努めていますが、この、日本の伝統で

ある「お盆」というのは、それぞれが自分の血(遺伝子)の中に

連綿と受け継がれているご先祖の性質(思い)に、心を寄せる

ための行事なのではないかと、「獄門島」の中の、その床屋の

セリフを読んで、ふっと思いました。

今ある自分も、自分の完全管理下にあるかのように感じていますが、

実は何百年何千年と受け継がれているご先祖の血が、ひょいと

現われやアがっただけの、「化け物」なのかもしれません。

時々自分でも、自分自身について、「何でこんな風に思うのか」

「何でこんな風に感じるのか」「何で、これにこう反応するのか」等々、

不思議に感じること、多々ありますもんね。

ご先祖様由来の遺伝子のせいなのかぁ、と思うと、納得がいく気が

します。(^^)


自分に現われている遺伝子の性質、それがご先祖様の思いだと

思うと、ちょっとした使命感を感じますね。

未洗練なものは洗練し、弱い部分は強化し、傷ついたところは癒し、

良きところは守っていかなければならないんだなぁ、と感じます。

それが、ご先祖供養になるのかな、と。

「獄門島」を読破したら、自分の血に流れるご先祖の思いに、

じっくり心を寄せてみようかなと思います。(^^)
posted by noa koa at 11:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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