2019年03月20日

「安心、安全」からの自己実現。

3月というのは、祖父母と父が亡くなった月であり、

個人的に超要注意な月と認識しているのですが、

先日、親戚のおじさん(89なので、一般的にはおじいさん?)が、

救急搬送されました。

搬送直前にかかってきた電話では、普通に元気でピンピンしていたので、

めちゃくちゃ驚きました。

幸い処置が早かったので命に別状はありませんでしたが、

やっぱり3月、コワイなと思いました。

寒暖差が激しいから、見えないところで身体に負担がかかっている

のかなぁ〜。

やはりこの時期、ささいな変調、不調も、甘く見たり見逃したり

してはいけないな、と、改めて気の引き締まる思いがしました。


先月の血液検査でお医者様に「パーフェクト」と言われたと言って、

有頂天になってまた食後にお菓子をバリバリ食べ始めている母にも、

釘を刺しておかなくっちゃ・・・。

本当に、改めて、命に別条がなく、毎日がつつがなく平和である

というのは、本当に本当に有り難い、幸せなことだなぁと

実感させられました。

それ以上を望む気がしないな!(色々ツッコまれそうですが。(^^ゞ)


マズローという方の唱えた説によると、人間は、「安心、安全」という

土台的欲求が満たされないと、「自己実現」というさらに高度な欲求へと

向かえないみたいですね。

人が何に「安心、安全」を感じるかはそれぞれなので、一概には

言えませんが、私の場合は、家族の心身の健康が保たれていないと、

居ても立っても居られないタイプ。

何かあるとすぐに「私が何とかする!」とイキリ立つので、

自分の自己実現どころではなくなります。

祖父母や父の死に際して「何もできなかった」というトラウマが、

心にズンと、あるんですよね〜。

どこか「私がもっとしっかりしてれば」と、歯噛みをしている自分がいる。


「死」なんてものは、誰にもどうにもできないものだから、と、

一般的にはそうだと分かっているし、自分も他人にはそう言うと思う

のだけれど、「私がボーッとしてたから」という突き上げるような思いは、

そうした表面的な所からではなく、魂の底から湧いてくる思いのような

感じがするのです。

前世からの、トラウマなのかも。


そう言えば、十数年前になりますが、「自分が自由気ままに遊びに

出掛けてしまったがために、仲良しの赤ちゃんが雨に打たれて死んで

しまって、その墓前で心臓が張り裂けんほどに泣き崩れている猫」

の夢と、「満州からの引き揚げ団にいる4人の子持ちの母親が、

配給を取りに行っている間に、下から二番目の子(3、4歳)が

自分を足手まといだと思って、雪深い外に出て行ったたまま

行方不明になってしまった(自分の意識は母親)」という夢を

立て続けに見たことがありました。


どちらの夢も、あり得ない悲しみの中で目覚めたのですが、

起きてすぐ胸の中に浮かんできたのは、「自分が相手にちゃんと

関心を向けていなかったからだ」という自責の思いでした。

同じような思いと感情を喚起させるような夢を立て続けに見たことで、

「同じこと繰り返すなよ〜」的なメッセージ性も感じました。


ある意味、私の今世は、自分に関心を向けるのではなく、身近な人間の

感情や揺らぎに関心を向けるべく生まれてきた人生なのかもしれません。

「女性が輝く」「1億総活躍」の世の風潮に、全く逆行していますけど。
(;一_一)


「家族の心身の健康や生命」という、いつどうなるか分からないものに

「安心、安全」を求める私に、マズローの言う純粋な自己実現欲求が

芽生えるのは、ちょっと難しいかもなぁと思います。

もしかしたら、「家族の心身の健康や生命に関心を向けることを怠らず、

その微妙な揺らぎを敏感に察知して、コトが起きる前にしかるべく

対処すること」が、今世における私の自己実現なのかもしれません。

・・・めっちゃ地味〜。(;一_一)


潜在意識を探ることで、華々しい自分を発見することもありますけれど、

このように地味〜な自分を発見することもあります。(笑)

でもトラウマにトラウマを重ねたくなければ、早めに自覚した方が

良さそうですよね。(^_-)

華々しい自己実現人生をお持ちの方々、総活躍、応援していま〜す☆(^^)
posted by noa koa at 14:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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